この世界が赤ちゃんの頃に見た夢の続きだったら
ま:makito
先日、5歳児の娘とお風呂に入ってタオルで体を拭いているときに、娘がこんなことを言ったんです。
『パパ、これが赤ちゃんの頃に見た夢の続きだったらどうする?』
「これ」って何?って思って、『「これ」って、いまのこの時間ってこと?』と聞いたら、そうだ、って言うんです。つまり、この今生きているこの時間・この生活が、自分が赤ちゃんの時に見ていた夢の続きだったらどうするって言う意味なんですが。結構、その思想って凄くないですか?
み:mikami
すごい話出してきましたね。
ま:
それで僕、感動して。というのも自分も子どもの頃にそういうことばかり考えてたんですね。今もそうなんですけど。「人の人生っていうのは誰かの夢なんじゃないか」とか。だから、人が死ぬ時っていうのは、その夢を見ている人が目を覚ます時なんじゃないか、とかそんなことを考えていました。それと同じこと言ってる!と思って。
み:
確かに似たような事は考えたことがありますね。自分の人生が自分のものじゃないような、そんなことがあるんじゃないかなって。
ま:
それで、これってどういう心の動きなのかな、とか、こういうことを研究してる人っていないのかな、と思って調べたことがありまして。「赤ちゃんの頃の夢」っていう話とはちょっと違うんですけど、「自分以外が自分の空想の産物なんじゃないか」という考え方について。
み:
なるほど。
ま:
そしたらやっぱりそういうのを研究している人がいて。『独我論』とか『唯我論』というらしいのですが。ちょっと説明するとですね・・・
独我論(どくがろん、英: solipsism ソリプシズム、独: solipsismus ゾリプシスムス)は、哲学における認識論の見方の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。独在論、唯我論ともいう。
ま:
これはみんな少なからず考えたことがあるんじゃないかと思うんです。
と言うのが、たとえば世界で起きているいろんな悲しい出来事、戦争とか自然災害とか殺人とか事故とか。こういうのはもちろんニュースとかでは見聞きするんですけど、自分に降りかからない。それは現実的に考えれば、ただ現在そのタイミングが来てないだけということなんですけど、別の見方として、自分にそういったことが降りかからないのは、世界が自分を中心とした想像の世界だからじゃないだろうか、とも考えられるかも知れない。
自分中心に回っている世界の中では、自分にはクライシスは起こらない。その世界においては、自分が死ぬ時っていうのは「世界全体の終わり」。自分が死んだ後、世界は続いていない。
こういうことを誰でも思うことがあって、研究されていて名前が付けられているっていうのが、なんかすごいなぁと思って。
み:
うん、まずは5歳児がすごいですね。その発想に至っているというのが見込みがありますね。ちゃんとグランジとかオルタナとかを聴くようになりそうですね。
ま:
そうですね(笑)
み:
でもそう思うと世の中ってわからなくなりますね。イマジネーションなのかどうか、証明なんてできないですもんね。
ま:
そうなんです。
似た話なんですが、『シミュレーション仮説』という考え方があって、これは、この世界がすでに仮想現実に入っているんじゃないか、っていう考え方なんです。
僕らが今生きている状態っていうのは、何かの大きな力によって、だれも知らないうちに仮想現実がスタートさせられたタイミングがあって、それ以来人々はシミュレーション(バーチャル・リアリティ)の中に生きているんじゃないかっていう、映画『マトリックス』を地で行くような話なんですが。こういうことを真剣に証明しようとしている人たちがいるんです。
シミュレーション仮説(シミュレーションかせつ)とは、人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説のこと。シミュレーション理論と呼ぶ場合もある。
み:
それ、例えばどうやったら証明できるんですか?
ま:
いや、さっぱり分からないです。どうやったら証明できるのか(笑)
み:
ただそう思う気持ちはわからないでもないですね。「自分以外」って一体何なんだろうって。
ま:
そうですね。こんなことを考えさせられる、5歳の娘の発言でした。
み:
すばらしいですね。いい歌詞をかける大人になりそうですね。
(end)
収録エピソード
【#006 ”my life as a baby’s dream”】の 00:05:50 あたりで話している内容です。
